病気って不便だけど不便じゃない

先日、たくさんの子供と遊ぶ機会がありました。

まぁ、里親の申請研修なわけなんですが、そこでも同期であるはずの大人同士でも混沌とした人間関係がうずまいていて、ちょっと怖かったです。

 

人って色んな人がいるよね。

正直、結婚してからは仕事も在宅だし、旦那は別に気を使う存在じゃないし、友達は気を使わない人だけが友達として残ってくれているわけだしってことで、自分にとって苦手な人と付き合う環境と遠ざかっていました。在宅だからか、少しは人間と触れ合ったりしたいなぁなんて夢見たり(笑)

 

でも、先日たった2日ですが、まぁ6時間ほど一緒に行う研修に出たのですが、そこから垣間見える人間性やずるさ、腹の探り合い、本心、そんなものが見えたから「あ、やっぱり私には人間はハードル高い…」って思ってしまった。今の生活が私にとってとても恵まれているんだって再認識することとなりました。

 

元々、疾患がいくつかあるので子どもと遊ぶのとかちょっと肉体的にきつかったり、あとみんなでごはん食べるのも食べれないものがあったりとか、自分も怖いし施設の人には伝えてあってもやっぱり「無理」ってものは出てくるよね。あと、消化器官をいじっているので、食後の激しい運動はきつくて食べたもの戻ってきた…。なんとか、飲み込んだけど…。

 

そういう自分の状況を他人に知ってもらうことの大変さを、痛感しました。

そして、同時にやっぱり「病気って不便なんだなぁ」って感じました。

 

でもね、いろいろ考えてみるとやっぱり「そんなことない!」って思ったのよ!なんだろね、それができない人がいても普通だと思うのよ。人ってみんな違うし、得意なことや不得意なことってそれぞれあるじゃない。それと同じ。私の疾患もちょっとした個性や特徴のひとつだと思うんです。そして、この考え方って発達障害の考え方にとても似ていると思う。

 

発達障害は個人差があって、人一倍こだわりが強かったり、不得意なものと得意なものの差が激しかったり、でもそれは個性がちょっと強いだけって何かで見た。私も結局はそんなものなのだと思う。そして、多かれ少なかれ人はそんな側面を持っている。

 

ただ、それが多数か少数かの違い。

私は特徴や個性が少数派なだけ。でも、わかりあえないことはないと思う。ただ、私ががんばって「わたしはこれはできるけど、これはできません」って一生懸命伝えても「甘えるな、ふざけるな、いい加減にしろ」って言う人は多い。これらを口にしなくても、なんだか奇異なものを見るような目で見たりする人も多い。結局は「変な人」扱いなわけで(経験済み)

 

私だって身体をバンバン動かして遊ぶことはできなくても、PCや機械操作は得意だし、考えることも好き。アイディアを出したり、創意工夫したりも得意。というか、肉体的にできないことが多いと、生きていくためにはイヤでも考える必要が出てくるのよね。目が不自由な人が耳がいいのと一緒。足りないものを別のもので補っている。

 

でも、これを理解して共存してくれる人って少ない。

変な仲間意識みたいなものが私は嫌い。

結局、そういう人に限って自分のことしか好きにはなれないんだから。

 

言ってもしょうがないから、やっぱり私は私が無理せず生きていける人生を歩むしかないのだけど。

 

タイトル回収だけど、

病気で一番不便なのは病気そのものよりも、周りに病気のことやできるできないを理解してもらえないこと。

 

それが、病気になって生きにくいと感じる一番のこと。

私みたいな人、どのくらいいるのかしら?