あなたはどうやって死にたいですか?

私は昔、死にたいときがありました。

ほんとに、そう思っていたのは大きくわけたら2回ほど。

 

最初は、高校生のとき。完全自殺マニュアルなんかが流行っていた時代です。

この時代に死にたかったのは、いわゆる厨二病のノリではなく、私の家庭環境から。ネグレクトや精神的な虐待のある家庭で育ちました。

そして、次は自己免疫疾患になり症状が改善せず、毎日が痛くて痛くてしかたなかったとき。薬に対して抵抗性の難病だったので、薬は効かないし1日に4回のモルヒネをいれても、痛くて仕方がない。やがて自分で起きることもできなくなって、介護状態に。寝返りも打てない。とこずれもした。

3、4日に1度やってくる母親は、来る度に起き上がれない私に文句ばかりをまき散らした。やがてイヤになって、怪しい自称占いしに2時間5000円で私の世話を頼むことに。その5000円は私の支払い。あたりまえだけど、長期入院で仕事もしていないので大して貯金もなかったです。

 

こんなクソみたいな環境で育ってきて、2回本気で死にたいと思ったのは頑張った方なのかもしれない。

 

で、なんで今まだ生きているかっていうと、死ぬってとてつもなく他人に対して迷惑だと気づいたからです。高校生のときの死にたいは、完全自殺マニュアルから焼死、飛び降り、首つり、一酸化炭素中毒、色々考えました。でも、どこで私が死んだとしても、いずれそれを見つける人間がいるわけで、思いもよらぬところからぐずぐずに傷んだ私の死体を見つける人間の気持ちになったら、申し訳なくなったんです。

 

なら、山奥でひっそり死ねばいいじゃないかと思いました。でも、自然の一部であると思っていた山にはきちんとした所有者がいることを知りました。自分の所有している山で人間が死んでいたらそりゃイヤですよね。

 

次に治療のめどがたたずに死にたかった私は、大して身体も動かないので飛び降りるしか選択肢がありませんでした。最後の力で、なんとか窓を登って落ちる。入院先は6階だったので、モルヒネ睡眠薬をたくさん飲んで落ちればまぁ死ねるだろうなって。でも、いつ実行するかに迷いました。

 

入院すると毎日違う看護婦さんが、日勤と夜勤にわかれて「よろしくね!」と挨拶に来てくれます。私が飛び降りて死んだら、担当の看護師さんが管理不足だと責任を問われ、そこの婦長さんも責任を問われるんだろうなって。この時代の看護師さんは貴重です。だから、私が飛び降りたことによってもしかしたら一人の看護師人生を潰してしまうかもしれないと思ったら、彼女の日は選べなかった。

 

なら、ベテランならいいのか。そんなこともない。結局、これまで使えなかった薬の認可が下りたことにより、その後症状はよくなっていき、無事に摘出手術に至ることになったんですが。症状がよくなり、外の空気を入れたいと思って身体も少し動くようになったから、窓を開けようと思ったんです。

 

そしたらね、窓が開かなかったの。

笑える、これ今でも笑えるの。

あんなに、悩んでたのに病院側は私の状態から自殺の可能性も考えて、鍵にさらに鍵をかけてあかないようにしていたようでした。

あんなに、毎日考えたのに結局こんなものだった。

 

でも、これらの経験を通して思ったことは、人は生まれてしまった以上、普通に生きて死ぬまで生きなくてはいけないってこと。よく、社会に迷惑をかけるなって言葉を聞くけど、頼んでもいないのに生まれてきた人間は、無難に協調性を持ち、生き延びることができる限り生き延び、そして死ぬ。

 

それ以外の選択肢は、安楽死が認められない日本には選択の余地がないのだと思いました。とくに、最近児童養護施設を見学したり、一日里親体験をしてきて、人間をこの世に産みだすことは、尊いと同時に非常に罪なことでもあると感じました。

 

自分の人生で、自分の人生は自分で歩めとか、自分で決めろっていうのに、どうやって死ぬかは選ばせてくれない。

生まれてしまったら、法治国家に従い法を守り無難に生き、最後まであがいて死んでいく。これしか、ない。