自分と向き合う作業②

自分と向き合う前に、毒親からの攻撃でメンタルが死にかけてます。

体重が減りません、過食によって増え続ける一方です。肝臓に負担がかかっているから、体重を減らせと消化器の医者からはいわれました。

 

でもね、ストレスで食べちゃうんです。食べてると落ち着くの。

言い訳とかこのへんにして、自分と向き合う作業をはじめたいと思います。

 

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とはいえ、だいぶ解毒は進んできました。

 

最近嬉しいできごとといえば、自分が「きれいでいる」ことにOKを出せたことです!

 

橋本翔太さんのYoutubeを見て、自分の人生を生きるとはどういうことかをずっと考えていました。

 

私は私の人生を生きることにOKが出せてないことは、漠然とわかっていました。でも、OKを出せないことだらけで、何がっていうのが具体的にわからなくてずっともやもや悩んでました。

 

あとは動画でもおっしゃっていたように、自分の人生を生きてきたつもりが親の人生脚本を生きていたのかと思うとショックで、数日から1週間くらい毎日寝てご飯を作り食べるだけの日々でした。

 

私は今めちゃくちゃ太っているんですが、それでも「きれいでいる」ことにOKを出せたことに驚いています。

 

ふと風呂に入っているときに、「やっぱり私は汚いよりきれいでいたい」って思えたんですよね。

 

そのときから、「私はきれいになりたいんだから、きれいでいる努力をしてもいいんだ」って自分にOKが出せた気がします。

 

そして、きれいでいたい自分と実際に過食して太ってしまう自分の差にそこまで苦しむ気持ちがなくなりました。前は、

 

太っている=きれいじゃない=きれいという気持ちを持ってはいけない

 

だったんです。

 

なんかちょっとすっきりした気分です。

 

これはほんの氷山の一角で、私は自分にOKを出せていないことがもっともっとあると思っています。

 

ひとつ、自分にOKを出してあげる感覚がわかったのはよかったです。

 

セルフカウンセリングもいいとのことなので、近々やってみたいなって思います。

自分と向き合う作業①

自分と向き合う作業をしてきたいと思います。

インナーチャイルドを癒すには、自分との対話が大事とのことでした。

 

「ほんとかよ!?」

 

正直こんな気持ちです。インナーチャイルドは私にはハードルが高いので、今の自分とゆっくり対話してみようと思います。

 

今一番困っていることは?

死にたい、どうして私は生まれたのか、どうして毎日生きているのか、ここにいる意味がわからない、そう思ってしまって何もできなくなってしまうこと。生きている価値を感じられなくて、生きていることがつらく感じること。

 

不安に感じていることはある?

発達障害かもしれないといわれたこと。ASDの検査結果待ち。何かあったときのために、障がい者手帳を発行してほしいと思う。でもグレーゾーンでそれもままならなかったとき、私は結局なんなのか、そんな気持ちになるのが怖い。いっそ、診断名が付いた方が楽だと思う。

 

先生からはどんな話があった?

ASDはとくに、鬱傾向になりやすいから、死にたいとかつらいとか気分の落ち込むのもASDの特性かもしれないね、といわれた。

 

どんな気持ちになった?

らくになった。ああ、病気や発達障害のせいで、私はどうして生きているの?と毎日思っていたんだって。病気や発達障害のせいだから、私のせいじゃないし、私がどうがんばってもそうなる時はなるんだから、仕方がないよねって少しほっとした。

 

新しい先生に変わって治療の効果は?

とても感じている。薬が変わったらとても効くようになった。夜寝る時間もはやくなった。何もせずに寝ていることが多くなったけど、前はそれもできなかったから進歩したと思う。

 

今どう?

親との問題もあるけど、自分がまだ親から精神的な自立ができてないと思う。愛着障害が残ってる。これを薄くしていきたい。前よりはだいぶ、解毒はできてきていると思ってる。

 

でも、そうなったらね、今まで憎んでた親がいなくなってしまったら、ぽっかり自分ってどうしているの?何してるのここで?ってなってしまって、それが「死にたい」「生きてる意味がわからない」につながってしまっている気がする。

 

自分の人生が生きられない。

 

まさに私だと思う。これまで親の機嫌をうかがう人生だった。結婚してから少しずつ、解毒が進んでよくなったように思ったけど、旦那に依存していただけで、自分の人生を生きるようになったわけじゃなかった。

 

何かあると旦那にどう思う?って聞いてばかり。聞くことは大事だけど、私のは少し違う気がする。

 

親を私の人生の舞台からおろしたとき、そこには何もなくて、私がこれまでやってきたことは全部親が絡んでいたことで、だから何をしていいかわからなくなった。

 

私は何がしたいのか。

どんな人生を生きたいのか。

発達障害かもっていわれたけど、どこまで頑張ればいいのか。

 

疲れたのでここまでにします。

私の毒親のこと。

私は毒親育ちです。

弟が生まれる3歳前までは、それなりにかわいがられていたと思う。でも弟が生まれてからというものは、

 

日に日に

どんどん

少しずつ

 

嫌われていった…

 

まるで1回目は間違いだったとでもいわんばかりに、弟だけをかわいがって私のことは煙たがっていた。ずっと悲しかった。

 

大きくなると家の中でいじめられた。父親が仕事でいないので、母親と弟と私の3人で暮らしていた。少し太っていた私に母親と弟は「肉団子」「豚!」などといって、毎日からかった。

 

毎日つらかった。

でも助けを求めるところもなかったし、デブで太っている私が悪いんだと思っていた。

 

食事も「弟にはあげるけど、あんたにはあげない」とかいって、差別ばかりされてきた。

 

私がテストでいい点をとっても、親は喜ばなかった。どうしてあと少しがとれないんだという。弟がテストで悪い点数をとってくると、母親は「~ちゃんよくがんばったね」とほめていた。

 

私が何かを成功する、上手にやることに親はあまりいい気持ちでいたのではないんだと、大きくなってから気づいた。

 

悲しかった。今でも悲しい。

 

ずっと喜んでほしかった、認めてほしかった「頑張ったね」って本心から言ってほしかったから。

 

親を殺したい、死ねばいい一日でも早く死ねばいい。私は母親が憎くて仕方ない。長年の間、憎むしかないような関係性を作り出してきたのは母親自身だ。私は関係性を改善しようと、私なりにがんばった。

 

当時まだ子供だった、子供なりにあの手この手で頑張ってきた。でもダメだった。つい最近も、母親のせいで深く傷つけられて、それ以来死にたくしかたなくてメンタルの調子がズタボロになっている。子どもにまではなんとか影響が出ないように食い止めてる。

 

それでもミルクをあげときの私は抜け殻だし、優しくしてくれる旦那の顔はうまくみれない。申し訳なくなるんだ。

 

こんな私でごめんね。

こんな私で楽しくないでしょう。

こんなものを背負わせてしまってごめんね。

 

いっそ投げ出してほしい。

そうしたら、生活保護なりなんなりなってきっとそのうちいつか、死ぬから。

 

でも、旦那は「絶対に一緒だよ」っていってくれる、もう見捨ててもいいんだよ。匙投げてもいいんだよ。こんな毎日病んで死にたいって言ってる人奥さんにおいといても、なんにも楽しくないでしょ。

 

大事な旦那の人生の時間まで、私はダメにしてしまっているんじゃないかととてもつらくてしかたない。死にたい、死にたい、死にたい死にたい

 

 

死にたい死にたい親が死ねばいいし、殺したいし、ありったけの呪いをこめて殺したい。地獄に落ちて、地獄で重たい刑をかせられたらいい。

 

感情が溢れる。怒りをどこにだしていいのかわからない。怒りは怒り。どこにもいけない。親を殴りたくなる、あんたが私にしてきたことを私が今になってやり返して何が悪い。私はあのとき、かよわい子供だった。

 

かよわい子供だったんだから。

 

弟がいるけどあいつも親と一緒。死ぬなら、実家のマンションから飛び降りてやる。薬のんで意識もうろうとして、あちこち切りつけて血だらけにして、床も家も汚してやる。

そうして死ぬ。

 

親は尊敬するものであるだなんて、誰が言い出した?

親のいうことは聞かなくてはならないなんて誰が言い出した?

親は万能の存在だなんてほんとうに信じているのか?

 

この世の中には、親とも人間とも呼べないような輩がたくさんいる。

あふれてる。

 

みんな病んでいる。

夢と妄想は現実にしたくない

今週のお題「やる気が出ない」

 

やる気がおきません。それどころか、生きている事自体をリタイアしたい。もちろん、色々試してみた。美味しいものを食べようとした、プールに行って泳いでみた、最近手がつけられない仕事をがんばった。

 

でも辛くて辛くて、本当にやる気が出ない。やる気がでないことがつらい、自分はだめで何も出来ないって気持ちにさせるから。

 

そんな今日夢と妄想が混じったなにかを見た。実家のマンションから勢いで飛び降りる私。その実家のマンションに入るにはなんていったら入れてもらえるのか。いつ、スキをを見計らって落ちるのか。

 

そのあと、近所で噂になって事故物件になって嫌な思いをする、その責任やら誹謗やら中傷を毒親である親が引き受ければいい。老後、ここに住めなくしてやる。そう思った。

 

もし、私が死なないなら、親を殴りたい。私にしてきたことで、自業自得なんだから私が親をないがしろにして、蹴り飛ばす権利はあると思う。寝タバコで、家事ってことにして家に放火する白昼夢を見た。でも、ただ寝てるときに火が起きたら起きてしまうから、睡眠薬で眠らせないといけない。

 

睡眠薬は何にどれくらいのいれたら、不自然じゃない程度に眠ってくれるか。途中起きたらどうするのか。私は期待してはやく、逃げなければいけないのに、そう思ったとき、一緒に泊まっていた体にして、最後の最後で自分が逃げるのもありかなって思った。

 

その方が最後まで確認できるから。自分もリスクはあるけど。

 

私は結婚してるから、私が死んだら悲しんでくれる人がいる。きっと買っている猫も少しは心配してくれるよねって信じてる。

 

迷惑だから死んではいけない。この一言で踏みとどまっているようなもの。

 

でもどうしようもなく、死にたくなるときがあるの。

 

やる気もない、やりたいけどできない、どうにもならない。

 

医者に相談しても、テキトー。

 

いつも優しくて一緒にいて話を聞いてくれる旦那、感謝してもしきれないでいる。だからこそ、死にたくなったときに結婚さえしてなければ私は孤独に死ねたのにと思ってしまうことが申し訳なくてしょうがない。

 

死ぬことはよくないこと。

生きるのはいいこと。

 

誰がこんなことを決めたのか。

 

もうずっと苦しみ続けている。

病気って不便だけど不便じゃない

先日、たくさんの子供と遊ぶ機会がありました。

まぁ、里親の申請研修なわけなんですが、そこでも同期であるはずの大人同士でも混沌とした人間関係がうずまいていて、ちょっと怖かったです。

 

人って色んな人がいるよね。

正直、結婚してからは仕事も在宅だし、旦那は別に気を使う存在じゃないし、友達は気を使わない人だけが友達として残ってくれているわけだしってことで、自分にとって苦手な人と付き合う環境と遠ざかっていました。在宅だからか、少しは人間と触れ合ったりしたいなぁなんて夢見たり(笑)

 

でも、先日たった2日ですが、まぁ6時間ほど一緒に行う研修に出たのですが、そこから垣間見える人間性やずるさ、腹の探り合い、本心、そんなものが見えたから「あ、やっぱり私には人間はハードル高い…」って思ってしまった。今の生活が私にとってとても恵まれているんだって再認識することとなりました。

 

元々、疾患がいくつかあるので子どもと遊ぶのとかちょっと肉体的にきつかったり、あとみんなでごはん食べるのも食べれないものがあったりとか、自分も怖いし施設の人には伝えてあってもやっぱり「無理」ってものは出てくるよね。あと、消化器官をいじっているので、食後の激しい運動はきつくて食べたもの戻ってきた…。なんとか、飲み込んだけど…。

 

そういう自分の状況を他人に知ってもらうことの大変さを、痛感しました。

そして、同時にやっぱり「病気って不便なんだなぁ」って感じました。

 

でもね、いろいろ考えてみるとやっぱり「そんなことない!」って思ったのよ!なんだろね、それができない人がいても普通だと思うのよ。人ってみんな違うし、得意なことや不得意なことってそれぞれあるじゃない。それと同じ。私の疾患もちょっとした個性や特徴のひとつだと思うんです。そして、この考え方って発達障害の考え方にとても似ていると思う。

 

発達障害は個人差があって、人一倍こだわりが強かったり、不得意なものと得意なものの差が激しかったり、でもそれは個性がちょっと強いだけって何かで見た。私も結局はそんなものなのだと思う。そして、多かれ少なかれ人はそんな側面を持っている。

 

ただ、それが多数か少数かの違い。

私は特徴や個性が少数派なだけ。でも、わかりあえないことはないと思う。ただ、私ががんばって「わたしはこれはできるけど、これはできません」って一生懸命伝えても「甘えるな、ふざけるな、いい加減にしろ」って言う人は多い。これらを口にしなくても、なんだか奇異なものを見るような目で見たりする人も多い。結局は「変な人」扱いなわけで(経験済み)

 

私だって身体をバンバン動かして遊ぶことはできなくても、PCや機械操作は得意だし、考えることも好き。アイディアを出したり、創意工夫したりも得意。というか、肉体的にできないことが多いと、生きていくためにはイヤでも考える必要が出てくるのよね。目が不自由な人が耳がいいのと一緒。足りないものを別のもので補っている。

 

でも、これを理解して共存してくれる人って少ない。

変な仲間意識みたいなものが私は嫌い。

結局、そういう人に限って自分のことしか好きにはなれないんだから。

 

言ってもしょうがないから、やっぱり私は私が無理せず生きていける人生を歩むしかないのだけど。

 

タイトル回収だけど、

病気で一番不便なのは病気そのものよりも、周りに病気のことやできるできないを理解してもらえないこと。

 

それが、病気になって生きにくいと感じる一番のこと。

私みたいな人、どのくらいいるのかしら?

 

私の人生を終わらせたのはだれ?

 

こんばんわ。

最近は、目の調子があまり良くなくて、左側の眼球から頬、首、肩、腕にかけて痛みが続いてます。ロキソニン、大活躍中(笑)

 

今日あたり、お風呂でリンパからなにからしっかりマッサージしてみようかなぁ。少しはよくなるといいのだけど。にしても、この痛みの原因はおそらくストレス。それはわかっているのです。

 

どうでもいい雑談はさておいて、タイトル回収に入ります。

 

私の人生を終わらせたのはだれ?

 

カテゴリが「病気のこと」となっているので、何かしらの疾患があることはお察しだと思いますが、以下私の病歴です。

 

 

あれこれありすぎて割愛しているのもありますが、大きいのはこんなもんかな。

太字になっているものは現在進行形で、治療中・経過観察中です。

 

はじまりは、潰瘍性大腸炎でした。

そこから、これだけの病歴が並ぶ結果になりました。

 

そして、潰瘍性大腸炎の診断から2年も経たずに、外科手術を行うことに。

不便なことは多々ありますが、入院ばかりしていて仕事もままならないあの頃と比べたら生活のクオリティは格段にあがったと思います。

 

大腸がなくなってからも腸閉塞っていう小腸がつまってしまう病気にたまになるので、食事や生活には気を付けてます。なにもかもが、病気になる前には戻りません。

 

でも、わりとわたしは気にしてないんです。

だって、しかたないんだから。

それより、入院の回数が格段に減ったことで仕事もできるようになったし、日々の生活が安定したことが嬉しかった。

 

なのに、わたしの周りの人達は「大腸がない」というただそれだけの理由で、わたしの人生をかってに終わらせました。わたしは今から、社会復帰したりやりたいことにチャレンジしたり、現実的な範囲での希望にあふれていたのに。

 

わたしが手術して大腸を失ったことで、わたしの人生をかってに終わらせたのは、具体的にいうと以下の人達です。

 

  • 母親
  • 親戚
  • 当時付き合いのあった近所の友達のお母さん

 

一言、言いたい。

 

私の人生を勝手に終わらすな。

 

自分で幕を引くのならともかく、なんで他人にかってに私の人生を終わらせなくてはいけないのか。

 

しかも、こういう人達に限って散々言い散らかして知らん顔をする。

実際そうです。

母親も親戚も、手術から10年が経過しましたが、私が困ったとき、助けてほしいとき、何一つ力を貸してはくれませんでした。実は手術は2回を予定していたので、1回目の手術から5年後に2回目の手術をしているのですが、その時は母親から立ち合いを拒否され、1人で3,4時間の手術を受け、1か月入院して帰ってきました。病院は、私が当時住んでいたところから、電車で50分、バスで30分です。

 

人の人生をかってに評価し、勝手に貶める人間がきらい。

どんな人生でもその人の人生であって、なにもあなたの人生じゃない。

 

ずっと言いたかったからもう一回言わせて。

 

私の人生を勝手に終わらすな。

ヒロアカとバビロン

今更ながらヒロアカとバビロンについて。

 

ヒロアカとバビロンって、善と悪をテーマにしているあたりなんか似てるなぁって。どちらも、純粋なんですよね。ヒロアカはジャンプだし熱血感あって、バビロンは小説(が元であってるよね?)だからか冷静なのに、どちらもすごく熱量があって純粋にそれぞれの方向に向かっているなぁという印象。

 

最初にヒロアカを見たときは、悪をやっつけるヒーローの物語だと思ってました。(あ、アニメ派です)でも、話数が進んでいくうちに善と悪で方向性は違えど、自分の目標に向かって真っすぐに進んでいく物語なんだなぁって思いました。面白いのはどちらも、「先生」なんですよね。ヒーローを目指す子にも善を教える先生がいて、悪の組織を目指す子にも悪を教える先生がいる。そして、善と悪のそれぞれの思想を掲げた子供たちがそれぞれの方向へ成長していく物語。

 

次にバビロンを見たときに(まだ途中ですけど)、これも正義と悪を題材にしていて既視感を感じました。婚期、ヒロアカ4期とバビロンが同時に放送されてやっと既視感の正体が発覚(笑)

 

おそい~~~~!!

 

改めて「悪ってなに?」「正義ってなに?」って言われるとよくわからないですよね。法律で決められているから、なんとなくそう教わってきたから、年齢がばれますが道徳の授業でもなんか言ってたなぁとか。

 

話は変わりますが、メリーバッドエンドってご存じですか?

ゲームとかに良く使われる単語ですが、主人公を誰に見立てるかによってその作品のエンドが変わるというもので、わたしけっこう好きなんです。

 

だから、双方の物語がどんな形になっても出てきた登場人物の分だけ、エンディングがあるってことなのね。考えるだけで、なんか楽しいしお得感あるよね(笑)

 

大したこと書いてませんが、それではこの辺で。